市長ブログ 現場第一主義(令和6年度)

ページ番号1010421  更新日 2024年5月3日

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令和6年4月22日 ミーズ設計連合 協定締結式

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 逗子市は公共施設の長期修繕に対応するのに、技術系の職員数が十分ではありません。横浜市や川崎市のように大きな行政では、公共施設管理課のような専門部所もありますが、逗子市の規模では一般職員が兼務することになります。そこで職員の技術的な相談にも乗ってもらえる仕組みを考えました。

 その相談先は「ミーズ設計連合協同組合」といい、三浦市(M)・横須賀市(Y)・葉山町(H)・逗子市(Z)に設計事務所を構えて活動している人たちです。ここは協同組合を作り横須賀市の学校の耐震工事も受注した実績もあります。地域貢献を考え実践しているグループであり、今回は逗子市の不足する部分の協力をお願いすることになりました。

 こうした提携は、神奈川県内では初めてのことで注目を受けています。これからの2年間に施設整備が集中するのですが、大いに力を発揮してもらえるのではと期待をしています。

 施設は20年を経過したあたりから、あちこち修繕が必要になります。逗子市の施設もその年代に差し掛かってきたのが多いのです。ここでしっかり手を入れて、長く使える施設にしてまいります。そのための協定に期待をしています。

令和6年4月21日 市制70周年記念式典

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 4月21日にご来賓の方々と、逗子市を支えていただいている市民の方々のご参会をいただき、市制70周年記念式典を開催いたしました。

 第一部が市長式辞・来賓祝辞、第二部が市制記念日表彰式、第三部は広報大使の方々との記念トークショーでした。

 市制70年の歴史もさることながら、逗子市は戦時中に強制的に横須賀市に合併された歴史があります。当時は浦賀町、長井町、大楠町、北下浦村、武山村の6町村も一緒に併合されました。

 戦後昭和23年に地方自治法が改正され、期限2か年の間に、(1)有権者の1/3の署名 (2)投票により過半数の賛成 (3)県議会での賛成決議 をクリアすれば合併前に戻ることができるという法律が施行されました。期限9か月前に逗子の若者や医師会が立ち上がり運動を展開して、最後は県会の議決も僅差でありましたが可決して、期限直前の昭和25年7月1日に横須賀市からの分離独立をなしえたのです。こうした強制合併は全国で50余りあった中、分離独立を果たしたのは8自治体だけであります。関東で4つ、神奈川では逗子町だけでありました。

 分離独立がなしえなかったら、今も逗子町は横須賀市の一部であります。こうした先人の努力の「独立精神」「郷土愛」の精神を改めて学び、後世に伝えていく使命があります。

 第三部は石原良純さん、三浦豪太さん、山田姉妹のお二人とのトークショーでしたが、皆さんがあまりにも「ずし愛」が強くてこちらがタジタジになるほどでした。皆さんのお話を聞いていて、本当に逗子は住宅のまちとして「選ばれるまち」を目指すことが正しいと、改めて強く思いました。

 70周年のキャッチフレーズは「海が好き 山が好き 逗子が好き」を市民の投票で選びました。このキャッチフレーズで一年間、様々なイベントを通して逗子を盛り上げていきたいと思います。

令和6年4月20日 長柄桜山古墳群第一号墳 開園式

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 葉桜住宅にお住いの方が古墳ではと発見されてから四半世紀、1999年のこと。その後調査が行われ、2002年に国の史跡に指定されました。その後葉山町と逗子市とにまたがる地域で、両市町で史跡指定地を公有化しました。

 現存する県内最大級の前方後円墳が2基になります。文化庁や神奈川県教育委員会の指導を仰ぎながら整備に着手して10年目に、ようやく開園へとこぎつけました。

 この古墳群は4世紀後半に築造されたとみられ、約1600年の歴史があります。整備はまず盛り土をして、古墳が崩落するのを防ぎ、頂上には埴輪のレプリカを復元し、また棺の埋葬されている位置は色を変えて分かるようにしています。この頂上からの景色は絶景で、逗子湾を望み、その先の江の島、そしてその向こうに富士山を仰ぎ見る位置にあります。工事のおおよそ完了が見えてきた頃の1月下旬に現地に行ったときに見た景色は、これぞ逗子でよかったと思えるほどの景色でした。四季折々の景色が楽しめると期待できます。

 道具もない時代に、どのようにしてこうしたお墓が作られたのか、ピラミッドも不思議ですが、まさに人間の持つすごさを感じるのです。当時の人たちもこの景色がふさわしいと思ったからこそ、大変な労力をいとわず構築したと思うと、古代の人たちとも繋がっている気がします。

 また新たな逗子・葉山の財産にしていきましょう。

令和6年4月16日 沼間放課後児童クラブ 視察

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 沼間小学校に今年度新しく放課後児童クラブが新設され、東逗子駅前広場から学校の校庭内に移転しました。これまでは幼稚園の建替えで仮園舎に使われていたプレハブの建物を譲り受けて使用していましたが、かなりの年数が経ち、雨漏りもあり耐久年数もすでに過ぎていて解体すべきと言われていました。中々適地がなく代替地を模索していたところ、沼間小学校のプールが老朽化のため使用を止めていたこともあり、プール跡に学童を新設することに決めました。

 今年度4月から使用開始し、新施設は木造で、学童・幼児エリアの延床は375m2と十分な広さもあります。床や壁にも木の板が使用され、中に入るとプ~ンと木の香りがします。子供たちも家に帰ると、お母さんに木の香りがするねと言われるらしく、洋服や体に染みついているのでしょうね。

 施設には小さな部屋のデンもあり、子供たちには格好の隠れ家のような気持になり、大好評のようです。図書の部屋もこじんまりした場所で、子どもたちはこぞってその場所に集まるのだそうです。建物の中だけではなく、校庭のグランドも遊び場になるので、のびのびと運動もしていました。

 近頃はご両親とも働いていることが普通になってきているので、子どもたちの授業を終えてから帰宅までの間の過ごし方は、教育の一環として行政でも考えていかなくてはなりません。いい施設ができました。

令和6年4月9日 関東学院大学 地域創生特論講義

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 毎年、新年度の始めには、関東学院大学の地域創生特論講義があります。今年も逗子市担当の全7講義のうち、最初の講義を務めてきました。学生は関内キャンパスのほか、リモートで他の会場も含めて80人ほどの数になります。受講する学生は公務員志望の人たちが多くいると聞いておりました。

 「逗子の成り立ちから、いま、そして将来について」と題して話をしました。

 逗子は海が最大の産業として発展してきた歴史があり、戦前から別荘地として広く知られていました。戦後の高度成長期には国民の娯楽として海水浴場に多くの人が集まり、当時はひと夏に200万人もの海水浴客が押し寄せたとも言われています。自分の記憶でも、海につながる道路の半分は、人が埋め尽くして歩いていました。

 そして山あいの土地が造成されて住宅地に変わり、一気に人口が増加しました。そうした成り立ちを持ち、産業の少ない住宅のまちである逗子市は、これからも住みたいまちとして選ばれることが、逗子市の目指すべき方向であると確信します。

 今回の講義などを通じて逗子のまちを知ってもらい、逗子市を公務員志望の1番にしてもらえたら嬉しいですね。

 今の学生たちは、コロナの時代の影響をもろに受けた世代であり、「将来あなた達は「コロナ世代」と言われるかもしれない。例えばコミュニケーションが苦手だとか、大勢の人とコンパをする場面で馴染めないとかと表現されるかもしれない」という話をしました。そのくらいコロナ対策では、人との交わりを制限した時期が続きました。

 講義終了後に質問に来た女子学生は、そうしたことへはどう対処したらいいのかと聞かれました。私からは、様々な場面で積極的に自分から関わることをしていくと解決の方法が見えてくるかもしれないから、やってみてくださいと伝えました。何かの参考になってもらえると嬉しいですね。

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