シロウリガイ類化石(池子遺跡群)
シロウリガイとプレートの移動
プレートとは?
地球の表層部はプレートと呼ばれる薄い岩盤におおわれています。大きさや形の不揃いな十数枚のプレートは、地球深部の活動によって、現在でも、それぞれが年間数センチから数十センチの速度で移動しています。その境界域では、プレートがぶつかり合って山脈ができたり、はなれて大地溝や海嶺ができたりします。一般に大陸プレートは軽く、海洋プレートは重いので、これがぶつかり合うと、海洋プレートが大陸プレートの下にもぐり込んで、海溝などの沈み込み帯が生まれます。
日本列島周辺はユーラシアプレート、北アメリカプレート、フィリピン海プレート、太平洋プレートが接する地殻活動の活発な地域です。相模湾沖では、フィリピン海プレートが北アメリカプレートの下にもぐり込み、相模トラフと呼ばれる沈み込み帯がつくられています。衝突のきしみにプレートが耐えられなくなったとき、断層ができ、大地震が発生します。伊豆半島や三浦半島周辺には地震の震源となる活断層が多く、海底からはメタンを多く含む水が活断層に沿って湧き出しています。
そうした沈み込み帯の斜面最先端付近、水深1,000~1,450mの地域に、シロウリガイは生息しています。貝殻前縁を海底の堆積物中に埋めて密集し、ときには幅数十メートルにもおよぶコミュニティを形成しています。
三浦半島の生い立ち
三浦半島と房総半島をつくる地層は、数千万年~数百万年という長い時間をかけて、深海底で形成されたものです。伊豆・小笠原諸島を乗せたフィリピン海プレートの本州への衝突により、ぶつかられた方の陸地がはげしく隆起し、約50万年前に陸地化しました。丹沢や足柄などの山地も同様にして形成されました。ちょうどプレートの境界にあたるこの地域は、現在でも年間数ミリメートルの隆起が認められる地殻活動の活発なところです。
三浦半島は、大きく見て鴨川層(嶺岡)群・葉山層群・三浦層群・上総層群・相模層群と呼ばれる地層から構成され、これらはほぼ東西方向に帯状に分布しています。このうち、三浦層群は、火山灰を多量に含む深海性の堆積物です。
半島南部はかつての相模トラフの海側斜面、北部は陸側斜面に堆積したものです。逗子市の位置する北部の地層は逗子層(820万年~440万年前)と池子層(440万年~280万年前)からなります。
シロウリガイの発見
シロウリガイは、アラスカ沖の水深580mの海底で1891年に初めて発見されました。その後、同種の化石がカリフォルニアの油田地帯から発見され、日本国内でも、1938年に秋田県男鹿半島で、翌1939年には新潟県東山油田地帯などで化石が発見されています。
相模湾では、1957年に三浦市城ケ島沖の水深750mで死んだ殻が採集され、近辺に生息している可能性の高いことがわかりました。しかし、その後1984年に確認されるまでの約30年間は死骸すら見つからず、幻の貝と呼ばれていました。
シロウリガイの秘密
なぜ、太陽光のとどかない暗黒、高圧、餌のほとんどない環境で、シロウリガイは生息できるのでしょうか?
それは、光合成ではなく、「化学合成」によってエネルギーを得る化学合成生物と大きなかかわりがあります。沈み込み帯の海底には、湧き出すメタンと海水中の硫黄を利用して、無酸素状態で硫化水素をつくることのできる細菌(バクテリア)や、その硫化水素を利用して、植物の代わりに暗黒の世界で有機物をつくりだすことのできる細菌が生息していることがわかっています。
シロウリガイは約5~10年ほどで殻の長さ約10cm、重さが約200gにもなる大型の二枚貝です。
胃や腸などの消化器官は退化し、代わりにエラが大きく発達しています。そのエラには、硫化水素を酸化してエネルギーを得るイオウバクテリアなどの化学合成細菌が共生しています。
シロウリガイはエラから取りこんだ硫化水素を共生細菌に渡し、細菌がつくった有機物を食べているのです。
しかし、硫化水素はふつうの動物にとっては猛毒です。呼吸により体内に取り入れられた酸素は、血液中のヘモグロビンなどと結合して、からだのすみずみに運ばれます。しかし、硫化水素は酸素より先にヘモグロビンと結合してしまうため、酸素が運ばれず、窒息してしまうのです。
シロウリガイや多くの化学合成生物には、血液中にヘモグロビンのほかに、硫化水素と結合しやすい特別なタンパク質をもつことで、環境に適応しています。
そのようして、酸素がなかった原始の海の時代から巧みに進化して、一億年ものあいだ生きのびてきたシロウリガイは、まさに「生きた化石」なのです。
池子のシロウリガイ
調査について
1986年(昭和61年)3月、アメリカ軍家族住宅建設事業に先だって、環境調査が行われた際、事業予定地内西側の丘陵部に露出する砂岩の中にシロウリガイ類の化石が含まれていることがわかりました。
1988年(昭和63年)9月から1992年(平成4年)12月にかけて、専門家グループによる地表調査、ボーリング調査に続いて、14箇所での切り取り調査が行われました。各地点を水平間隔5mごとに区切り、可能な限り精密に観察・記録がなされました。
現状保存が困難な状況のもと、できるだけ多くのものを後世に伝えようと、多数の化石岩塊の保存に努め、地層断面のはぎ取り標本が集められました。また、当館裏手の丘陵部、現グラウンド斜面など、工事に支障のない箇所は永久保存されることになりました(ただし、表面は被覆されており、現在その地層面を観察することはできません)。
池子産シロウリガイの過去
例えば、地層断面のはぎ取り標本から、どんなことがわかるのでしょう?
片殻の固体が多いこと、両殻揃ったものでも生息時の垂直に立った状態でないことや、貝化石層とそうでないものが互層することなどから、このシロウリガイが他の生息地から水流で運搬され、ここに堆積したものと考えられます。また、細かい破片が少ないこと、殻があまり水磨されていないことなどから、その距離はあまり遠くないことが推測されます。
そのようにして、池子産のシロウリガイの過去が、次第に明らかになってゆきました。当地のシロウリガイは440万年前、古相模湾の水深約1,000m付近に、他の化学合成生物群集とともに生息していました。そこは海底火山の裾野、プレート沈み込み帯の最先端斜面です。その頃、活発化した火山活動は大量の火山灰を海底斜面に積もらせていました。やがてそれらの生物群集は海底地すべりにまき込まれ、火砕岩塊などと一緒に水深2000~3000mの海底に運ばれ、堆積して化石となったのです。
シロウリガイ類化石層と池子層の複雑な地層構造はこうしてつくられました。その地層が長い年月の間に、地震に伴う地殻変動によって隆起し、約50万年前に陸地となって地上にあらわれました。そして、ついに50mの丘陵として発見されるに至ったのです。わたくしたちの想像を遥かにこえた時の流れからすれば、ほんの星のまたたきにすぎないようなこの一瞬に、ここでこうして出会えたことは「奇跡」といえるでしょう。
シロウリガイはなぜすごい?
シロウリガイなどの化学合成動物群集は、光合成に依存する生物群集が発生する以前に繁栄し、今も生きつづけている生きた化石です。その研究により、太古の海の化学組成と生命現象発生の一過程が証明できるかもしれないと期待が持たれています。
また、海底湧水にともなう高濃度のメタンを求めて、シロウリガイが海底を移動することが観察されており、その動向と地震との関連について、海洋科学技術センターなどで、現在も観察・調査が行われています。シロウリガイ類は地球活動にかかわる特別な場所にのみ生息することから、その化石が地層中にどのように含まれているかを調査することは、古環境や地質構造、さらには三浦半島が形成された歴史を解明するための大きな手がかりとなります。
そのようなシロウリガイ類化石層が、市街地に近い逗子市域で、これほど大量に保存状態も良く発見されたことは、世界でも極めて稀なことなのです。
ご教示・ご協力
元横須賀市博物館学芸員・理学博士 蟹江康光氏
写真・図解
1999.7 『海から生まれた神奈川』 神奈川県立生命の星・地球博物館、横須賀市自然・人文博物館
1993.10 『池子シロウリガイ類化石調査 最終報告書』 横浜防衛施設局
参考文献
1995 軟体動物の最新学『貝のミラクル』 東海大学出版
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