池子遺跡群

ページ番号1004557  更新日 2023年8月7日

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池子の近・現代

写真:1988年に撮影された、旧池子弾薬庫跡地
上空から(撮影 1988年)

旧池子弾薬庫跡地は昭和12年(1937年)に旧日本帝国海軍の弾薬庫として接収が始まり、戦後はアメリカ軍提供用地として、一般の立入りがきびしく制限されてきたところです。
昭和53年(1978年)、池子基地は弾薬庫としての役目を終えますが、55年(1980年)に米海軍家族住宅建設予定が公表され、その後15年間に渡って容認・反対の住民運動が続きました。
平成6年(1994年)、緑を守る約束で合意し、平成8年(1996年)4月に池子米海軍家族住宅がオープンしました。854戸の住宅に約3,400人の米軍家族が暮らしています。

発掘調査の概要

池子遺跡群の発掘調査の全体図
調査区全体図

住宅建設事業に先だって、平成元年(1989年)から6年(1994年)にかけて、神奈川県立埋蔵文化財センターと財団法人かながわ考古学財団によって発掘調査が行われました。
米軍提供用地の総面積288万平方メートルのうち、調査範囲は11.9万平方メートルに及びます。六十年の間、立入りが制限されていたことにより、近代の開発で破壊されることなく、多くの遺跡・遺物が良い状態で残っていました。
弥生時代の旧河道をはじめとする多くの遺構や、当初の予想をはるかに越えた数万点の遺物が発見されました。出土遺物は先土器時代から近代までの長期に渡っており、これまでほとんど不明であった池子地区の歴史を知るうえで、貴重な成果をあげることができました。
平成11年(1999年)3月、整理箱で4,000箱という膨大な量の出土遺物をはじめ、遺跡調査に関するすべての資料が神奈川県から逗子市に移管されました。それらの貴重な資料は池子遺跡群資料館およびトンネル状の旧弾薬庫内に保管されています。

池子遺跡群の特徴

写真:調査区南端部の弥生時代の旧河道
調査区南端部の様子

低湿地であったため、ふつうは腐りやすい木製品が良い状態で大量に発見されました。特に調査区南端部の弥生時代の旧河道からは土器や石器、骨角製品とともに多くの木製品が見つかり、量・種類ともに豊富で、全国的にも注目されています。
また、完成品になる途中の未製品が多いのも池子遺跡群の特徴です。木製品は製作の過程で、水に漬けて木材のアクを抜く作業が必要です。そうしないと出来上がった製品に歪みが生じてしまうそうです。
豊かな森と水が得られる当地は、木製品の生産地であったと考えられます。各段階の未製品は弥生時代のひとびとのものづくりの過程や工法、工夫がうかがえる貴重な資料です。

弥生旧河道について

地図:No.1-A地点
No.1-A地点 弥生時代面全体図

調査区全体を南北に貫流する弥生時代の河道がみつかりました。幅は8~5m、深さは最も深いところで約3mです。河道の底面から縄文時代晩期終末の土器がわずかに出土しているので、その頃から存在していたと思われますが、弥生時代中期後半の「宮ノ台期」に最も栄えました。
河道周辺のテラス部分からは竪穴住居や掘立柱建物、お墓や溝などが見つかっており、河を中心としたひとびとの暮らしぶりがうかがえます。
調査区南部、最も開けた場所である1-A地点とその周辺部からは、大量の遺物が出土しました。そこから出土した木製品を中心とする弥生時代の遺物は、2002年2月に神奈川県の重要文化財に指定されました。

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