被爆証言 千種 文子さん(29才の時に広島で被爆)

ページ番号1011892  更新日 2025年1月10日

印刷大きな文字で印刷

被爆証言 千種文子

平成17年10月26日(2005年) 逗子小学校の6年生3クラスに証言する。

私は広島で被爆した千種でございます。次にお話します事は、私が今から60年前に実際に体験した事実をお話させて頂きます。

田栗様は19才、祐野様は17才、堤様は10才の若さで被爆されましたが、私はその時29才ですでに結婚して居りましたので、子供が4人居りました。まだ幼い0才2才4才6才の小さい子供ばかりです。又、私の主人は 海軍の軍人でしたからほとんど軍艦に乗り組み、家に帰るのは、軍艦が港へ入港の時しか帰宅できませんでした。その頃は何でも配給と云って衣料切符で衣類を求め、又食べ 物も人数に応じて支給されますのでお米、野菜、みそ、正油はありますが、お砂糖など美味しい物はありません。ぜいたくを言わなければ困りませんでした。

戦地へ行っている出征兵士の慰問袋(戦地の兵隊さんを慰めるために、日用品や娯楽物等入れて送る袋)その中にもう1つ腹巻きにして身を守るお守りとして、千人針と云う白いサラシの布で、長さ50cm位の長い布に千個の印をエンピツでつけて、赤い糸と針に通し、それを毎日町角へ立って道行く人々に『千人針をお願いします。...』とさけんで1人1人に頼んで1針づつ縫って貰う のです。又或る時は銃後の守りと云って竹槍で敵を突く訓練や、屋根の火を消すバケツリレーの実地訓練などしました。その間でも空襲警報が鳴りひびきますと、子供達に防空頭巾をかぶせ、食べ物を背中におわせ、一番小さい赤ん坊は小型の柳行李と云う衣類など入れるカゴに寝かせて、それにヒモを付けて防空壕へと引っぱって避難します。

8月6日広島に原子爆弾が落されました。夏の暑い朝8時15分でした。私共は家の中で朝ごはんを食べていました。サイレンが鳴り小さい子供を連れて防空壕へ行く間もなくピカッと光ったと思ったらドカンと云う、ものすごい爆風と共に、家の雨戸、フスマ、障子は吹きとび、丁度朝ごはんを食べていた所でしたが、茶ぶ台(ごはんを食べる低い机)、その上のお茶碗、みそ汁の入ったおなべ、ごはんを入れたおひつも、アッと云う間に、あとかたもなく隣りの家の畑へ一瞬にして飛んでなくなりました。 そして家の天井はブラブラ下ってゆれ動き、こわくて、こわくて立って居られませんでした。

子供を引っ張って倉(大事な物を火災や水害から守り入れておく所です)そこへ避難しました。

悪い事は重なるもので、その中黒い雨が降り出し、洪水となり、家のまわりは一面の海となりました。 私の家は石垣で高くなっていましたが、近所の低い家々は家ごと海へと流されて行きました。 屋根の上では『助けて、助けて』と手をふりさけんでいますが、どうしてあげる事してきません。 その上、地震まで起こり、生きた心地はありません、しかしーたん収まりましたら、広島市内よりゾロゾロ村の小学校へ避難民がなだれこみ、学校が一杯になると、一軒の家に3人づつ収容して下さいと お布令が町から出ました。

皆洋服はボロボロで、手、足の皮膚は焼けてベロベロにたれさがり、男か女か見分けがつきません。 オフトンを敷いて寝かせて上げるのですが、やけどがうんでイタイイタイ、水を下さい と云われますが、ただ傷口を水でふいて上げるだけでお薬などありません。そのうち暑さでただれた所へ 白いウジ虫がウヨウヨわいてそれをお箸で一つ一つ取ってあげるだけです。そのうち皆さん苦しんで苦しんで 死んで行かれますので、大八車にワラを敷いて死体をのせ、森の中の大きな穴の中で焼くのです。 こわい等と云ってはいられません。次々死体が運ばれてくるのですから焼くのに精一杯です。

戦争が終って一番困った事は、子供をかかえて食べ物がない程、なさけない事はありませんでした。

広島駅前にヤミ市と云ってヤミで仕入れ、一般に売っていない物を何でも売っている市場があります。

そこで私は、うまくもないぬかだんご、ドングリの粉、コーリヤン等買って帰ります。でも子供達は美味しい美味しいと大喜びで食べてくれます。こんなウソのような本当の話があります。

私の隣りに23才のお兄さんが一人で住んでいました。商売が上手な、かしこいお兄さんで、どこからかヤミでお米・タマゴを仕入れて来るのです。そして私に『おばさん、これでおにぎりとゆでタマゴを作って下さい』と毎朝頼みに来ます。それらを木箱に入れて広島駅前のヤミ市へ自転車につんで売りに でかけるのです。私はーケでもいい売れ残ったら子供達に分けてほしいのですが、またたくまに売り切れてしまうそうです。それを毎日毎日やりました。お兄さんは小金を貯めて仕事を始めました。

今私は時々広島へ旅行しますと、必ずそのお兄さんを訪ねて、苦しかった昔話を笑って話し合います。お兄さんは今は立派な家を建てて、お孫さんと楽しく平和に暮らして居られます。

どうぞ今の皆さんは本当に幸せだと思います。これからは人間を殺し合う様なムダな戦争は絶対止めなければなりません。 そして皆さん命を大切に元気で楽しい有意義な人生を毎日送ってほしいと思います。

一生けん命勉強すれば、必らずみとめてもらへます。どうぞ体に気をつけて元気でがんばって下さい。

私の話を聞いて下さり有難うございました。

このページに関するお問い合わせ

市民協働部市民協働課市民協働係
〒249-8686 神奈川県逗子市逗子5丁目2番16号
電話番号:046-872-8156
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。