2004年ピースメッセンジャーin広島
広島市立幟町中学校の皆さんとの平和交流

幟町中学校は、原爆による急性白血病のため12歳で亡くなった 佐々木禎子さんの友人たちが中心となって全国に呼びかけ、 平和公園内に「原爆の子の像」を建立したことで知られています。
今も毎年、佐々木禎子さんの命日には平和集会を開催するなど、 積極的に平和学習を行っています。
幟町中学校の校内には、被爆の遺跡が残っています。
●被爆エノキ・・・・・・幟町中学校は爆心から1.4kmのところに位置し、原爆投下当時は裁判所の官舎がありました。この木は、爆風と熱線で焼け焦げ、6〜7mの太い枝が分かれる所まで深い空洞になっています。今でも焼かれた跡を包み込むように木が成長していった様子が残っています。
●原爆の子の像の原型像・・・平和公園にある「原爆の子の像」の4分の1の原型像を設計者の菊池一雄先生から譲り受け、正面玄関に飾ってあります。
「原爆の子の像」は、幟町中の生徒だった佐々木禎子さん(在籍のみで登校はしていない)の死(白血病)を悼み、禎子さんの友人たちが中心となって原爆の犠牲となった子供たちの慰霊のため、全国から募金を集めて1958年に建てらました。
●原爆の子の像の原型像・・・平和公園にある「原爆の子の像」の4分の1の原型像を設計者の菊池一雄先生から譲り受け、正面玄関に飾ってあります。
「原爆の子の像」は、幟町中の生徒だった佐々木禎子さん(在籍のみで登校はしていない)の死(白血病)を悼み、禎子さんの友人たちが中心となって原爆の犠牲となった子供たちの慰霊のため、全国から募金を集めて1958年に建てらました。
平和交流会
ピースメッセンジャーは、逗子の地理・特徴、戦時中の逗子、逗子市被爆者の会のお話、広島市長への平和メッセージについて発表しました。



また、班ごとに分かれて、広島と逗子についてのフリートーキングを行ったり、平和について話し合ったり
しました。
しました。
テーマ「平和な世界ってどんな世界?」
戦争や争いごとがなく、話し合いで解決できる世界。
人々が協力し合って生きていける世界。
自然と共存していける世界。
いじめや差別などがない世界。
公平で争いのない世界。
宗教や国境を気にせず、みんな仲よくできる世界




この情報に関するお問い合わせ先
市民協働部:市民協働課市民協働係
電話番号:046-872-8156