2002年(平成14年)ピースメッセンジャー in 広島
広島市立幟町中学校の皆さんとの平和交流
幟町中学校は、原爆による急性白血病のため12歳で亡くなった佐々木禎子さんの友人たちが中心となって全国に呼びかけ、平和公園内に「原爆の子の像」を建立したことで知られている。
1.校内被爆地等見学
●被爆エノキ・・・・・・爆心から1.4kmの幟町中学校の位置は当時裁判所の官舎があり、この木は、爆風と熱線で焼け焦げた。6〜7mの所まで太い枝が分かれる所まで深い空洞になっている。焼かれた跡を包み込むように木が成長していった様子が残っている。
●原爆の子の像の原型像・・・平和公園にある「原爆の子の像」の1/4の原型像。設計者の菊池一雄先生から譲り受けたもの。幟町中の生徒だった佐々木禎子さん(在籍のみで登校していない)の死(白血病)をきっかけに建立の取組みが行われた。3年間で全国から募金が集まり完成となった(1958)。この碑は当時、原爆の犠牲となった子どもたちの慰霊のために造られた。
●折り鶴の碑・・・・・・ヒロシマに寄せられるようになった無数の折り紙に込められた平和への願いを広島の子どもたちが受け止めた証として2000年3月に建立。
●原爆の子の像の原型像・・・平和公園にある「原爆の子の像」の1/4の原型像。設計者の菊池一雄先生から譲り受けたもの。幟町中の生徒だった佐々木禎子さん(在籍のみで登校していない)の死(白血病)をきっかけに建立の取組みが行われた。3年間で全国から募金が集まり完成となった(1958)。この碑は当時、原爆の犠牲となった子どもたちの慰霊のために造られた。
●折り鶴の碑・・・・・・ヒロシマに寄せられるようになった無数の折り紙に込められた平和への願いを広島の子どもたちが受け止めた証として2000年3月に建立。
被爆エノキ

みんなで作った千羽鶴を「原爆の子の像」原型像に捧げる
折り鶴の碑前
2.平和交流会
班ごとに分かれて、広島と逗子のことについてフリートーキングを行ったり、平和について話合いました。

この情報に関するお問い合わせ先
市民協働部:市民協働課市民協働係
電話番号:046-872-8156