環境省による「国内における毒ガス弾等に関する総合調査検討会(第12回)」の報告について(2005.3.25)
平成17年3月25日(金)環境省第1会議室におきまして、「国内における毒ガス弾等に関する総合調査検討会(第12回)」が開催され、逗子市の事案について調査・評価結果の報告があり、「環境省が実施した地下水調査の結果、毒ガス関連成分は検出されなかった。」との報告がありました。
その概要は次のとおりです。
逗子市の事案
1 調査資料等
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・「横須賀海軍軍需部引渡目録」1/3〔1〕
・『神奈川の米軍基地』(平成13年2月)〔A1〕
・「横須賀海軍軍需部引渡目録」3/3〔A2〕
・『逗子市史 通史編』〔A3〕
・『池子の森』(池子弾薬庫返還の記録)〔A4〕
・「提供施設・区域の使用実態等調査書(業務資料)」〔A5〕
・『平成16年度B/C事案における第2次地下水調査業務報告書』〔A6〕
2 生産・保有情報
終戦時に、横須賀海軍軍需部の久木1号倉庫(当時、横須賀市逗子町)は、「手投涙弾甲」大4,000発、「手投涙弾甲」小6,000発、「催涙筺」25個を保有していた〔1〕。
3 その他の情報
(1)久木・池子倉庫に係る情報
・旧横須賀海軍軍需部(久木・池子倉庫)は、現在の逗子市の久木地区・池子地区に存在した〔A1〕〔A2〕。
・横須賀海軍軍需部の配置図には手投涙弾と催涙筺を保管していた久木1号倉庫は、現在の逗子市久木地区に存在していたことが示されている〔A2〕。
・戦時中、「池子火薬庫は、弾薬庫、管理事務所区域、宿舎区域の三区域からなり、弾薬庫には横穴式トンネル倉庫16ヶ所、平屋建て上屋木造地上倉庫69ヶ所、合計85ヶ所の弾薬倉庫が建設された」と記載されている〔A3〕。
(2)地歴について
・横須賀海軍軍需部(久木・池子倉庫)は、昭和13年に同軍需部池子倉庫(久木と池子の逗子市域)として設置され、その後、第2海軍航空廠補給部池子工場として引き継がれたと記載されている〔A1〕。
・昭和20年9月1日、連合軍は横須賀海軍軍需部(久木・池子倉庫)を含む全軍用資産を接収し、米軍は池子に弾薬庫を設置した〔A1〕〔A4〕。
・米軍池子弾薬庫はその後、横須賀地区の米軍人家族の住宅地として池子住宅地区及び海軍補助施設となった〔A5〕。なお、米軍から逐次返還された敷地は、学校の運動場や公園、道路、駅の拡張部分として利用されている〔A1〕〔A4〕。
(3)地下水調査結果について
・環境省が実施した地下水調査の結果、毒ガス関連成分は検出されなかった〔A6〕。
関連情報リンク
国内における毒ガス弾等に関する総合調査検討会(第12回)
※資料5:B/C事業に関する評価結果について参照