広報ずし 2024年4月号 NO.986 5面 昭和 まちの発展とにぎわい 高度経済成長期以降、各地で急速な宅地開発が進み、住宅都市へと発展します。多くの海水浴客が訪れ、リゾート地としてもにぎわっていました。 【キャプション】 1958(昭和33)年に披露山公園開園。自然環境保全のため、市内各所で公園整備が進んだ 1963(昭和38)年、大規模な宅地開発が始まった頃の小坪亀が岡団地。その後、池子アザリエや久木ハイランド、沼間グリーンヒルなどの開発が続いた 逗子海岸には遊園地「逗子コニーランド」が夏の間だけ開設 1967(昭和42)年には海水浴客が約235万人を記録。国鉄(現JR)逗子駅前は海水浴客であふれた 市制20周年に市の木「つばき」、30周年に市の花「ほととぎす」が決まったよ 1972(昭和47)年に池子弾薬庫の一部返還が実現し、第一運動公園として開園。 1977(昭和52)年には第1回市民まつりが開催され、現在も続く市のイベントに 逗子の思い出 相川時雄さん(池子) 景色は変わっても、人と歴史は変わらない  市制施行の70年前は中学校1年生でした。小学生時代はまだ池子小学校がなく、逗子小学校まで京急神武寺駅から電車で通学。当時は住宅も人も少なく、上級生に遊んでもらっていて、今でも「〇〇ちゃん」と下の名前で呼び合う仲です。  市内にあった映画館で時代劇を観たり、逗子海岸の混雑を避けて現在の葉山マリーナ付近で泳いだり。池子神明社の神輿渡御(みこしとぎょ)は威勢がよく、祭りが楽しみでした。神輿の損傷と担ぎ手不足で廃止していた神輿渡御を、仲間と神輿保存会を立ち上げ2003年に復活。こうして歴史が引き継がれていくとうれしいです。