広報ずし 2024年8月号 NO.990 2面 平和な未来のために 2004年、逗子市は核兵器のない平和な世界の実現に向けて努力する、非核平和都市を宣言しました。それから20年、被爆者が減少する中で証言の伝承が課題となっています。おやこ記者として長崎で被爆者の話を聞いた経験のある佐藤さんが、逗子市被爆者の会「つばきの会」の2人に話を聞きました。(本文中敬称略) 【問い合わせ先】市民協働課 語り継ぐ被爆証言 忘れられない被爆体験 佐藤 お2人とも、幼い頃に広島で被爆されたそうですね。当時のことをお聞かせください。 宮川 私は5年生の時に、広島市の郊外へ疎開していました。原爆のキノコ雲の下で奇跡的に助かった父と兄の「互いに大怪我をしていても、瓦礫の下敷きの人を助け出したり、大火傷した友達を戸板に乗せて運んだ。」という話に衝撃を受けました。翌日から学校の教室やお寺や農家の座敷には、オバケのような怪我人でいっぱいでした。 藤原 私は、1歳8か月の時に被爆したので直接の記憶はありませんが、両親から「ピカドン」という言葉をよく聞かされました。家族は奇跡的に助かりましたが、近所にはけがをした人もたくさんいて、皆で協力して乗り越えたと聞いています。 佐藤 お2人の体験から、戦争の悲惨さと平和の大切さを改めて感じます。 宮川 だからこそ、戦争を知らない子どもたちに被爆のつらさや戦争の愚かさを伝えていかなければならないと思い、長年、市内の小中学校で被爆体験を語り継ぐ活動をしています。 未来へ伝える平和の言葉 佐藤 私も小学校で宮川さんのお話を聞きました。ずし平和デーでは、みんなの感想文が展示されるんですよね。 宮川 はい。原爆と人間展で展示します。被爆者が描いた『忘れられないあの日』の絵を展示しますので、ぜひ足を運んでみてください。若い世代の理解と協力が、核兵器廃絶と平和への願いを引き継ぐために大切なのです。 藤原 戦争の記憶を風化させないため、私たちの体験を伝え続けることが使命だと感じています。皆さんが、平和の尊さについて考えるきっかけにしてほしいです。 佐藤 平和のバトンを、私たちの世代でもしっかりとつないでいきたいと強く思いました。貴重なお話をありがとうございました。 つばきの会  藤原功紹さん つばきの会  宮川千恵子さん