市内の指定文化財一覧              市内地図を見る

区分

種別

番号

名称

所在地・所有者

指定年月日

国指定

建造物

1

五輪塔(石造 乾元二年銘)

池子2-8-33 東昌寺

昭和28. 8.29

史跡

2

名越切通

小坪7丁目、久木9丁目

昭和41.4.1

3

和賀江嶋

小坪5丁目

昭和43.10.14

4

長柄桜山古墳群

桜山7丁目、同8丁目

平成14.12.19

県指定

建造物

5

神武寺薬師堂 附棟札三枚

沼間2-1402 神武寺

昭和60.11.29

絵画

6

絹本着色大威徳明王像

沼間2-1402 神武寺

昭和29. 3.30

7

絹本着色千手観音像

沼間2-1402 神武寺

昭和29. 3.30

彫刻

8

木造阿弥陀如来立像

沼間2-20-17 光照寺

昭和56. 7.17

美術工芸

9

銅鐘(応永十年銘)

沼間2-12-15 海宝院

昭和44.12. 2

天然記念物

10

五霊神社の大イチョウとその周辺の樹木

沼間3-10-34 五霊神社

昭和42. 7.21

11

鐙摺の不整合を示す露頭

桜山9-2405-21 逗子市

昭和52. 5.20

考古資料

12

逗子市池子遺跡群出土品

池子遺跡群資料館 逗子市

平成14. 2.12

 

市指定

建造物

13

観音堂

久木5-7-11 岩殿寺

昭和46.12.23

14

四脚門

沼間2-12-15 海宝院

昭和48. 1.26

彫刻

15

木造不動明王立像

沼間2-1402 神武寺

昭和45. 5. 1

16

木造薬師如来坐像及び日光・月光菩薩立像

沼間2-1402 神武寺

昭和45. 5. 1

17

木造阿弥陀如来坐像

池子2-8-33 東昌寺

昭和46.12.23

18

木造阿弥陀三尊立像

小坪5-10-17 海前寺

昭和47. 7.28

19

木造阿弥陀如来立像

小坪4-26-3 仏乗院

昭和47. 7.28

20

銅像阿弥陀三尊像

逗子3-1-17 延命寺

昭和48. 1.26

21

木造十王及び奪衣婆坐像

桜山7-7-1 宗泰寺

昭和48. 1.26

22

木造十一面観音菩薩坐像

沼間2-12-15 海宝院

昭和49.12.18

工芸

23

緑釉唐草文瓶ほか一括

沼間2-1402 神武寺

昭和49.12.18

24

菊座鈕小松流水文・散文双雀鏡他硯二面

郷土資料館 個人

昭和49.12.18

史跡

25

こんぴら山やぐら群

沼間2-1402 神武寺

昭和45. 5. 1

26

みろくやぐら

沼間2-1402 神武寺

昭和45. 5. 1

27

先祖やぐら横穴

沼間2-23-24 個人

昭和46.12.23

28

山の根谷装飾横穴

山の根2-1-6 個人

昭和47. 8.18

29

六代御前の墓伝説地

桜山8-2013 六代御前史跡保存会

昭和48. 2.21

天然記念物

30

「鐙摺の不整合」の露頭

桜山9-2448-4 逗子市

昭和47. 7.28

31

神武寺周辺の岩隙植物群落

沼間2-1402 神武寺

平成 5. 5.12




 1. 五輪塔(石造 乾元二年銘)   池子2-8-33 東昌寺

 


 東昌寺本堂の前に、国の重要文化財(建造物)に指定されている五輪塔が祀られています。

 かつては葉山町堀内の慶増院という真言宗の寺の墓地にあったものです。 鎌倉時代に二階堂藤原行然の開基で 創建されたと伝えられるこの寺は、長い間廃寺になっており、昭和の初期に黒住章道という日本画家が再建しました。
 この時、葉山に別荘を持っていた政治家の高橋是清と犬養毅が経済的に援助したことから、両氏の名にちなんで 高養寺と改められました。

 その後、東昌寺に管理されることとなった高養寺は、昭和28年(1953)にお堂が新宿の浪子不動境内に移築され、 五輪塔も一緒に移されました。
 さらに昭和51年(1976)、池子東昌寺に安置されることになり、現在にいたっています。

 


 安山岩製で高さ141cm。水輪には金剛界大日如来をあらわす梵字の「バン」が刻まれています。 また地輪には 「沙弥行心帰寂、乾元二年(1303)癸卯七月八日」の銘が刻まれています。行心という法名の人物については資料が残って いませんが、二階堂行然の縁者の墓であろうと考えられます。

 この塔は、作風・保存状態ともに良好であり、鎌倉時代末期の中型五輪塔として基準となる貴重な文化財です。

 

 2. 名越切通   小坪7丁目、久木9丁目

名越切通(保存工事前)

 


 名越切通は、いわゆる「鎌倉七口」といわれる鎌倉の主要道のひとつです。「鎌倉の地勢とその外部との連絡状況を示す重要な史跡」として、昭和41年(1996年)に国指定史跡と なりました。

 切通の周辺には、約150基のやぐらからなる中世の葬送遺構、まんだら堂やぐら群(安全管理の都合上 非公開)や、人工の断崖が連なる大切岸、 平場などが濃密に分布しています。

 指定地の大半が逗子市であるため、逗子市教育委員会が主体となって史跡整備をすすめています。これまでに、史跡内の主要な場所で部分的な発掘調査(確認調査)を実施したり、落石の危険により通行止めとしていた第1切通で、 岩の割れ目を拡大させる木を伐採して亀裂をふさいだり、薬剤で岩の表面を強化したりするなど、崩落防止のための 保存工事を実施しました。

 平成16年度には整備基本計画を策定しました。まんだら堂やぐら群については、平成22年度を目処に全面公開を目指しています。

 

まんだら堂やぐら群

大切岸

 

 3. 和賀江嶋   小坪5丁目

満ち潮で波間に隠れた嶋の夕景(住吉城跡から)


 干潮のとき、鎌倉材木座海岸の南端から沖に、無数の玉石が見られます。 これは和賀江嶋(わがえのしま)と呼ばれる、わが国に現存する最古の築港遺跡です。昭和43年(1968年)に国指定史跡 となりました。ほとんどが鎌倉市域ですが、一部が逗子市に該当しています。

 『吾妻鏡』によれば、貞永元年(1232年)、由比ヶ浜、材木座沖で難破する船の多いことを 嘆いた往阿弥陀仏という僧の願いを入れ、鎌倉幕府の執権北条泰時らの協力によって、一ヶ月で築かれた といわれている船着場跡です。

 宋の貿易船など、中国大陸から東アジアまで連なる交易の窓口として、幕府にとって重要な役割を 果たしました。現在でも、付近で陶磁器片などを見つけられることがあります。

潮が引いて入り江状の姿を現した和賀江嶋


 満潮時はほとんど海面下に沈んでいますが、大潮の時などには小さな入り江状に玉石が 積まれた桟橋状の姿を見ることができます。ただし、現在の姿は江戸時代にもかなり手が加わっているものと思われ、 鎌倉時代の和賀江嶋が実際にどのような姿であったのかはわかっていません。

 これらの玉石の多くは、相模川・酒匂川・三浦半島・伊豆の海岸などから海路で運搬されたものと推測されています。

 

 4. 長柄桜山古墳群   桜山7丁目、同8丁目 

 


 長柄桜山古墳群は、逗子市と葉山町の境界をなす標高100〜120mほどの丘陵上に約500mの距離 を隔て 位置しています。第1号墳は、平成11年(1999年)3月、近くにお住まいの考古学愛好家によって、 第2号墳は、同年4月、県内在住の考古学研究者によって発見されました。

 第1号墳は全長90m、第2号墳は同88mと大形の前方後円墳で、保存状態も良好です。 1号墳からは東京湾−房総半島を、2号墳からは相模湾−江ノ島・伊豆半島、富士山を眺望することができる絶好の ロケーションです。

 


 範囲確認調査の結果、両古墳から4世紀中〜後半の壺形埴輪(つぼがたはにわ)と円筒埴輪 (えんとうはにわ)等が出土し、また第2号墳では葺石(ふきいし)が確認されるなど、 関東地方の前期古墳の中にあっても学術的に貴重な古墳であることがわかりました。

 学術的な価値が高く、保存状態が良いことに加え、史跡の保存管理・公開活用にむけた逗子市・葉山町の明確な 将来像が評価され、平成14年(2002年)12月19日、国の史跡に指定されました。 古墳の国史跡指定は神奈川県内で初めてで、本格的な調査・整備には今後着手する予定です。



 

 

2号墳 葺石検出状態

 

  5. 神武寺薬師堂 附棟札三枚   沼間2-1402 神武寺

 

 標高80mを越える山の頂にあって豊かな森に囲まれた神武寺は、医王山来迎院と号する天台宗の古刹です。 山岳寺院の面影を色濃く残すこの寺の創建年代は不明ですが、文禄三年(1594年)の『相模国三浦郡医王山神武寺御縁 起』 には、神亀元年(724年)に聖武天皇の命により関東に下向した行基が、ここに十一面観音・釈迦如来・薬師如来 の尊像を祀ったのが草創であると記されています。

 中世には、源氏の信仰が厚かったようで、頼朝が妻政子の安産を祈願したり、実朝が参詣したという記事が 『吾妻鏡』に残されています。

 しかし、その後、度重なる火災によって寺宝焼失などの大きな被害を受け、建築物も再興や改修が行われ ました。本堂である現在の薬師堂は、棟札や墨書などから、寛文六年(1666年)に再興されたとみられています。

 

 桁行3間、梁行3間の正方形で、寄棟屋根がかけられています。 内部の組物には 禅宗様の影響がみられるほか、中央の仏壇は折衷様、側廻りの木取りや格天井がはられた内部のつくりは和様の性質がうかがえます。
 茅葺きだった屋根は消耗が著しく、平成4年(1992年)竣工の大修理によって、茅葺形銅板葺に改修 されました。またこの際、正面に設けられていた向拝については、幕末に増築されたことが明らかであること、 意匠面で堂本来の量感が軽減されていることなどから、これを撤去して本来の姿に戻しました。

 


上:修理前  下:解体 茅葺屋根下地

※ 写真:『神武寺薬師堂保存修理工事報告書』
(1992年 神武寺薬師堂保存修理委員会)より

 


 神武寺薬師堂は、伝統ある鶴岡八幡宮大工一派の手による とみられる神武寺に現存する最古の建築で、中世に鎌倉地方で盛んであった禅宗建築の流れが、 桃山期に入っても変容しつつ受け継がれた、県下でも例の少ない近世初期和様仏堂として重要な遺構です。
  昭和60年に県指定文化財となりました。


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薬師堂修造棟札(表)
寛文七年(1667)、 元和八年(1622)、  慶長三年(1598)

※写真:『湘南の古刹 神武寺の遺宝』(2004年神奈川県立歴史博物館)より

 

 6. 絹本着色大威徳明王像   沼間2-1402 神武寺

鎌倉時代

江戸時代

 

  大威徳明王は密教で 重んじられる五大明王(不動、軍荼利、降三世、大威徳、金剛夜叉)のひとつです。 仏に立ち向かう敵に備えて武器を持つ姿から、平安以降、戦勝祈願の仏として、主に武将の信仰を集めてきました。

 荒海を走る水牛の背に左の三足で立つ明王、その周囲に四童子が描かれています。明王は三面三眼六臂六足で、忿怒の相を表し、火炎を背負い、髑髏の飾りをつけ、 第一手に弓矢をつがえ、戟・宝棒・剣・輪宝をそれぞれの手にもっています。

 絹本著色、128.2 x 67.3cm、14世紀前半頃の制作と推測 される優れた密教仏画です。年月を経て変色し、図柄が識別しづらくなっています。 現在は鎌倉国宝館に寄託。右は江戸時代のものと思われる模写です。

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※ 写真:『湘南の古刹 神武寺の遺宝』(2004年 神奈川県立歴史博物館)より


 7. 絹本着色千手観音像   沼間2-1402 神武寺

 


 千手観音は、千の慈手で衆生を悩みや苦しみから救ってくれる菩薩です。お経には、千の手にそれぞれ 目がついていると説かれており、正式には「千手千眼観自在菩薩」と呼ばれます。実際には、一本の手に二十五 本分の願いを託し、本体の二本の手に加えて四十本の手をもつものが多いようです。

 ここに描かれる尊像も十一面四十二臂です。宝冠・胸飾・瓔珞(ようらく)・臂釧(ひせん)・腕釧を身につけ、慈手にはさまざまな持物 をもっています。像は全体に黄土を塗り、肉身は金泥、肉線は朱線、法衣は金泥地に切金の 文様が施されています。残念ながら痛みがはなはだしく尊像周辺の地絹はほとんど剥離しています。

 絹本著色、84.3 x 33.1cm。14世紀前葉(鎌倉時代後期)の作とみられています。現在は鎌倉国宝館に寄託。


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※ 写真:『湘南の古刹 神武寺の遺宝』(2004年 神奈川県立歴史博物館)より


 8. 木造阿弥陀如来立像  沼間2-20-17 光照寺

 

 JR東逗子駅の北東の山裾にある光照寺は真言宗、延命寺の末寺です。開創の時期は不明ですが 、源義朝の嫡子悪源太義平の 供養のために建てられたという伝承があります。明治初年までは、沼間五霊神社の別当寺を つとめていました。

 阿弥陀如来は、日の沈む西の彼方にあるという西方浄土をつかさどる 仏です。浄土のひとつ、蓮の華が咲き乱れる美しい「極楽」に住むとされています。末法の世の救いとして、 平安時代に信仰を集めました。罪を悔い改め、「南無阿弥陀仏」と唱え、ひたすら極楽に生まれかわりたいと願えば、 阿弥陀如来が迎えにきてくれると信じられてきました。

 



 現在のご本尊である木造阿弥陀如来立像は全身漆箔で、高さ94.7cm、 光背を背負い、蓮台に立って、来迎印を結んでいます。 台座裏に文久三年(1863年)の修理銘があります。造立は14世紀頃と推測されています。

 


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 9. 銅鐘(応永十年銘)   沼間2-12-15 海宝院

 


 沼間の海宝院は曹洞宗で、山号を長谷山といいます。 もとは横須賀村(現横須賀市)にあった良長院というお寺を、徳川家康の世に三浦郡を支配した代官頭、長谷川七衛門 長綱が現在の地に移し、今の名前に改めたということです。境内奥には、長綱をはじめ長谷川一族の墓が祀られています。

 本堂に入ってすぐ左手に応永十年(1403年)の銘がある銅鐘が あります。 総高100.6cm、鐘身78cm、口径52cmで、鐘身対口径が1.5対1の比率になる細身の鐘です。

 銘文により武蔵国小山田保小野路県小野大明神(現 東京都町田市小野路、小野神社)の宮鐘であったことがわかります。 それがどのような経緯でここに伝えられたのか定かではありませんが、北条早雲が新井城に三浦道寸を攻めたとき陣鐘 として使用されたものを、後に長谷川長綱が軍功により家康から拝領し、当院建立の際、奉納したものだといわれてい ます。

 

 10. 五霊神社の大イチョウとその周辺の樹木   沼間3-10-34 五霊神社

 


 沼間の鎮守の森、五霊神社(ごりょうじんじゃ)は、 天手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祭神とする、逗子市内でも最も古いと考えられている神社です。

 五霊と名のつく神社は各地にありますが、元は災禍をもたらす怨霊を鎮めようとする御霊信仰に基づくものです。 関東地方にある五霊社の多くは、平安時代末期の武将鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)を祀るのが 一般的です。

 その境内に樹齢500年以上といわれるイチョウの木があります。 幹周6m、高さ25mの大イチョウのまわりには、タブノキ・ケヤキ・イヌマキ・スダジイ・ヤブツバキ などの暖帯性海岸広葉樹が茂っています。数が多いタブノキは、暖地の海岸沿いの森の主ともいわれるように 、枝を大きく広げた大木になります。

 大イチョウを除くそれらの木々は、肉厚の葉でツヤがあり、 光をよく反射することから、照る葉という意味で照葉樹と呼ばれています。かつて南関東地方の海岸地帯に よく見られた樹林ですが、近年の開発ですっかり減少してしまいました。

 聖域として守られてきたこの森は、この地域本来の自然の樹種の構成を見ることができる希少な樹林として、昭和42年(1967年)に県の天然記念物に指定されました。

 

 11. 鐙摺の不整合を示す露頭   桜山9-2405-21 逗子市

 

 桜山9丁目の渚橋から、県道を葉山港方面に少し進んだ右手の崖に、県の天然記念物に指定された鐙摺不整合があり ます。現在は草木が茂っており、地層面を観察するのは難しい状況です。

 また、そこより海側の逗子市浄水管理センタ ー敷地内に、周囲が埋め立てられ、プールのようなコンクリートの囲いで保存されているのが、 市指定の鐙摺不整合です(No.30 参照)。

 上下に重なる二つの地層の堆積時期が、地殻変動などの影響を受けて大きな隔たりがあるとき、地質学では 「これらの地層は不整合である」といいます。ここは、そうした不整合を観察できる絶好の場所です。

 

 

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 三浦半島は、大きく見て古いほうから鴨川層(嶺岡)群・葉山層・三浦層群・上総層群・相模層群と呼ばれ る地層から構成されています。これらはほぼ東西方向に帯状に分布しています。

 逗子市の位置する三浦半島北部の地層は、 主に三浦層群の逗子層と池子層からなりますが、ここでは、より古い葉山層と逗子層とが形成する不整合を見ること ができます。

 

 12. 逗子市池子遺跡群出土品   池子遺跡群資料館 逗子市

 


 池子遺跡群は、米軍住宅建設事業に先だって、平成元年(1989年)から同6年(1994年)にかけて、 神奈川県立埋蔵文化財センターと財団法人かながわ考古学財団によって発掘調査が行われました。

 米軍への提供用地総面積288万uのうち、調査範囲は11万9千uに及びます。 昭和12年(1937年)に旧帝国海軍によって接収されて以来、約六十年の間、 立入りが制限されていたことにより、現代の開発で破壊されることなく、多くの遺構・遺物が 良い状態で残っていました。

 確認された遺構や出土した遺物は先土器時代から近代までの長期に渡っており、これまでほとんど不明であった 池子地区の歴史を知るうえで、貴重な成果をあげることができました。

 

 中でも注目すべきは、低湿地であったため、ふつうは腐りやすい木製品が良い状態で大量に発見されたことです。 特に調査区南端部の弥生時代の旧河道からは土器や石器、骨角製品とともに農工具など多くの木製品が見つかり、 量・種類ともに豊富で、全国的にも注目されています。

 それら木製品を中心とする弥生時代の遺物241点は、2002年2月に神奈川県の重要文化財に指定されました。
 ※ 資料館の見学は事前申し込みが必要です。詳しくは下記ホームページをごらん下さい。

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