特別寄稿「弥生時代の河川跡を発見」

 山本 暉久
  昭和女子大学大学院生活機構研究科教授 (元かながわ考古学財団調査研究部長)
 池子遺跡群の発掘調査によって発見された弥生時代の河川跡から出土した遺物が、このたび神奈川県の重要文化財として指定されたことは、直接発掘した当事者の一人として大変うれしく思います。そこで、これら遺物が発見されたころの思い出を記して、その時の感動をみなさんに知ってもらいたいと思います。 
 発掘は、まさに「未知との遭遇」といえるでしょう。どのような時代の遺跡が地中に埋まっているのかは、発掘してはじめてわかります。とくに逗子市池子地区は、戦前は旧帝国海軍の弾薬庫として、戦後は米軍の提供用地として立ち入りがきびしく制限されていたため、遺跡の存在はほとんどわかっていなかったのです。ここに、米軍家族住宅が建設される計画がもちあがり、はじめて遺跡の存在が注目されるようになりました。 
 私は、1989年4月に始まった本格調査から、その全体の調査が終了する1994年10月までの5年7ヶ月という長きにわたり発掘調査にたずさわり、その後も現地の調査事務所で遺物の整理と調査報告書の作成作業を1998年3月まで行いました。通算、実に9年間という長い期間を池子遺跡群とお付き合いしてきたことになります。自分のさまざまな発掘調査歴のなかでも、これほど長い間、一つの遺跡群に関わったことはなかったし、多分これからもないだろうと思います。それだけに、池子遺跡群に対する愛着、思い入れが強く、池子遺跡群とともに過ごした日々が今でも鮮明に思い出されます。
調査を始めた頃の池子の様子

調査を始めた頃の池子

 前年に行われた試掘調査では中世から近世にかけての遺跡が見つかったため、その下面は掘り下げなかったので、弥生時代の遺跡がここに眠っているとは誰も想像していませんでした。


 私も、初めて池子に来たとき、恥ずかしながら、「こんなところに、ほんとに遺跡があるのだろうか。せいぜい接収前に住んでいた人たちの家の跡や中・近世の民家跡などがみつかるだけだろう」などと、なめきった態度で発掘に臨んでしまいました。敗戦後日本海軍が放棄した、魚雷や砲弾の抜け殻、戦車などが掘り出されたのを見て、全く遺跡としては期待していなかったのです。 
発掘作業の様子

発掘作業風景

 そうした中、5月後半、この低地のほぼ中央に、土の堆積がどのようになっているのかをみようと、ほぼ南北方向に、中央トレンチと名付けた試掘溝を設定して、重機を用いて掘削を開始したところ、試掘溝の南半部に砂層の堆積が確認されました。


 そして、忘れもしない1989年5月30日、試掘溝の南端部でユンボのバケットに水を多量に含んだ土砂がすくい上げられているのを見ていたとき、その中に土器片が含まれているのを目ざとく発見したのです。 
 すぐに重機の掘削作業を止めて、試掘溝に飛び込んだところ、多量の土器破片や木質の遺物が土砂の中から見つかりました。拾い上げた土器をよく見ると、それは間違いなく今からおよそ2000年前の弥生時代中期後半に相当する宮ノ台式土器と呼ばれるものだったのです。 
 この突然の発見により、にわかに調査は活気づくことになりました。その性格を探るため、重機掘削を中断し、慎重に遺物が発見された場所の調査を開始しました。
発掘された鍬

記念すべき最初の鍬

 「おーい!鍬が出たぞー」、その喜びの雄叫びに、みんなが駈け寄ってきました。神奈川で初めて発見された弥生時代の鍬、報告書や他県での発見例は見聞していたものの、まさか、神奈川の、しかも自分が調査している遺跡から弥生時代の木製農耕具を初めて発見できるとは想像もしていませんでした。なんとすばらしい、発掘冥利につきるとはこのことだ、という思いでいっぱいになりました。


 その後、続々と木製品が出土し、それとともに多量の土器片や石器、動物の骨で作った製品、シカやイノシシをはじめとする動物の骨、魚の骨、貝、植物の種子や色鮮やかな葉っぱなど、ありとあらゆる遺物が出土しはじめたのです。普通、台地上の遺跡を調査すると土器や石器などは出ても、たいがいの遺物は腐ってしまい残ることはありません。低地のしかも水が多く含む土層だからこそ、パック状態でこれまで保存されてきたのです。
 その後、周りを調べたところ、この多量に遺物を出土する場所は、当時の河川の跡であったことがわかりました。弥生時代の人々が、この河川の周辺に生活して、食べ物や、使った道具などを河に投げ捨てていたことが判りました。
 でも、発掘という行為は弥生時代の河川跡が発見されたからといって、すぐにその調査にとりかかることはできません。河川が埋まって以降の遺跡もその上に残っているからです。すぐにでも掘りたい気持ちを抑えながら、その後一旦河川跡の調査を中断し、約1年かけて、近世から古墳時代までの調査を行いました。そしてようやく、翌年の1990年4月から河川跡の本格調査を開始したのです。
川底から出土した遺物

川底から出土した夥しい遺物

 その調査はまさに驚きの連続となりました。今回、重要文化財に指定された多数の遺物は、この本格調査の結果発見されたものです。木製の遺物は露出しておくと、乾燥によって劣化してしまうので、水に漬けたままで保存しておかねばなりません。 
 しかし幸いなことに予算がついて、重要な遺物については、保存処理を施すことができました。池子米軍住宅地内にある資料館に展示されている木製品はそうした保存処理がなされたものです。 
 この貴重な遺物を通じて、米作りを始めた弥生時代の人々の生活ぶりを知ることができるのです。


 こうした調査に携わることができたことは私にとって本当に幸せでした。考古学の魅力、それは発掘という作業の結果、過去に生きた人々と遺物や遺跡を通じて直接対面できるということにあるのではないでしょうか。 
 この弥生時代の河川跡から発見された遺物は、その後長い遺物整理作業を経て、かながわ考古学財団調査報告46『池子遺跡群10 No.1-A地点』(1999年3月刊)として大部な本にまとめられています。
 発見された遺物を地元で保管して、後世に伝えていくことは大切なことだと思います。 幸い、関係者の努力により、池子遺跡群があった逗子市池子の米軍家族住宅地内に建設された資料館に遺物が保管・展示されるようになったことは、発掘に長らく携わったひとりとして大変うれしく思っています。みなさんもぜひ見学してみてください。

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