被爆証言 祐野 孝文 さん

諫早の実家で農作業をしていたが、原爆投下    翌日母とともに親類を探しに長崎へ行った。

写真
長崎原爆資料館提供
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  今から59年前、沖縄は米軍に占領され、ソ連参戦、広島に原爆投下、次は日本本土上陸決戦と太平洋戦争は次第に悪化して、毎日のように戦爆連合の敵機は蜂の巣をつついたように襲来し攻撃して来ました。

  8月9日午前2時56分マリアナ諸島のテニアン島を発進したB29ボックスカーはプルトニウム原爆(重さ5トン、直径1.5m、長さ3.5m)をつんで第1目標の北九州小倉へと向かいました。上空は雲に蔽われ視界不良のため第2目標の長崎へとコースを変更した。午前11時2分、運命の時間、遂にB29は雲の晴れ間から地球で2発目の原爆を長崎に投下。

  その日、私は17歳で大村の海軍航空廠に学徒動員中でしたが、ちょうど休みで諌早の実家の田んぼの草取りをしていました。警戒警報が発令されて間もなく、B29がブーンブーンと重い爆音をなびかせながら島原方面より長崎上空へと飛んで行った。例の如くまた偵察飛行でもしているのだろうと思っていた矢先、突如、ピカッ!と太陽が爆発したのではないかと思うほどオレンジ色の光線が稲妻の如く走った。一瞬田んぼの中に伏せたが、もの凄い爆発音と爆風が過ぎ去った。頭を上げて長崎の上空を見ると、西風に吹かれて黒煙のきのこ曇の間から落下傘が3個フワリフワリと落ちてくるのが見え、隣の田結村の方へと飛んで行きました。高射砲が一斉に砲火をあびせたが命中しませんでした。この落下傘は9,000m上空から原爆投下52秒後長崎上空500mで爆発、その状況をグアム島の米軍に知らせるラジオゾンデだった事が後で判明しました。

   長崎上空は爆風で燃え上がった紙屑が西風に吹かれて無数にとんで来て被害の大きいことを知りました。原爆を投下したB29はテニアン島迄帰る燃料がないため、コースを変更、やっとの事で不時着寸前、沖縄の読谷飛行場に12時30分辿り着いたとのことです。

  西部軍管区司令部は午後2時15分ラジオで次のように放送しました。「敵大型機2機は長崎市に侵入し、新型爆弾というものを投下せり、詳細は現在調査中なるも被害は比較的軽微の模様なり」と事実とは全く違い、長崎は手がつけられない程の壊滅的爆撃で避難してくる人、負傷者を運ぶトラック等、道路は夜通し列をなしてゴッタ返していました。夜明を待って母とともに喜々津駅より汽車に乗り、叔父、叔母一家を救援に向かったが、途中長与駅でストップ、線路伝いに歩いて行きました。段々と市内に近づくにつれ、被害がひどくなり、焼け焦げた人々や馬車馬、焼けた電車、浦上川には沢山の人々が折り重なって、もう言葉では表現できない悲惨極まりない原爆地獄でした。爆心地近くの浜口町の叔母一家7名は全員被爆死、城山町の叔父はミイラの様に焼け焦げ、いとこの長女、国民学校6年生は防空壕の中で死亡、叔母は城山国民学校下の横穴防空壕の中で助かっていましたが、爆風と放射能で内臓をやられて何も食べることができず、お茶だけ飲んでいましたが、とうとう力尽きて1週間後に亡くなりました。長女は学徒動員で三菱工場に当日は耳の治療で長崎医大病院に通院中に行方不明、応急援護所となった勝山・新興善国民学校を探し回ったが現在も行方不明のままです。

   59年経過した今も、当時の悲惨な状況がつい昨日の出来事のように脳裏に生々しく甦り、真黒く焼けただれた子どもが悲痛な声で「お母さん、お母さん、お母さん!」と泣き叫びながら助けを求めていた姿が想い出されて深い悲しみと憤りがこみ上げて来てどうすることもできません。

   私は10年目に突然高熱に犯され、白内障を患い2年間は殆ど失明状態でした。幸い両眼とも手術して回復しましたが、裸眼では不自由です。原爆放射能の後遺症は今もなお、多くの人々の体をむしばんで苦しみ続けています。

   広島・長崎両市の当日の犠牲者は約20万人、その65%は罪のない子供たち年寄りの皆さんで、その40%はいまだに行方不明のままです。何千年の人類の歴史の中で、これ程大きく悲惨な出来事があったでしょうか。世界平和の礎となられた多くの原爆犠牲者の御霊を慰めるためにも、私達は全世界の人々に声を大にして叫び訴え続けます。人道上・国際法上も許すことのできない核兵器、かけがえのない地球、人類・生物を救うためにも一刻も早く核兵器を廃絶し、世界の人々が皆仲良く手をとり合って、平和で幸せな生活ができるよう願って止みません。

慰霊短歌  昭和万葉集より

         その朝を出でてかえらぬ面影の

                                     幼きままに来る原爆忌

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