住宅建設反対運動(1980年~1994年)

1980年(昭和55年)

日付 できごと
4月1日 建設省が「三浦半島大規模国営公園構想」を発表、池子弾薬庫地区は除外
4月9日 三島市長、市議会議長が防衛施設庁などに対し、米軍住宅建設計画を確認。米軍の住宅不足は認めるものの、池子が候補地だという正式な話は聞いていないとの回答。
4月24日 三島市長、横浜市長、神奈川県知事連名で全面返還・地元跡地利用要請
5月10日 池子に1000戸の米軍住宅を建設する計画について国会質疑(防衛施設庁長官)
7月11日 県議会、池子米軍住宅反対意見書採択
7月31日 臨時市議会、「米軍住宅建設反対と早期全面返還」の意見書を内閣総理大臣に提出
11月 「池子弾薬庫全面返還逗子市民会議」が、米軍池子住宅反対の大統領あて署名を開始

1981年(昭和56年)

日付 できごと
6月29日 日米防衛首脳会談で池子米軍住宅建設計画を合意
7月7日 三島市長、知事連名で早期全面返還と地元跡地利用の要請書を、関係大臣、米大使、米軍司令官等に提出
7月31日 市長選挙。三島市長無投票での三選。池子弾薬庫の返還と国営自然大公園の誘致を掲げる
8月21日 市議会「米軍住宅建設反対・早期全面返還の意見書」を全会一致で採択
11月17日 三島市長、市議会議長ら、防衛庁参事官と面会し、池子が候補地として決定したわけではないとの回答

1982年(昭和57年)

日付 できごと
3月23日 池子弾薬庫の横浜横須賀道路敷地約2ha返還
6月15日 三島市長、県知事連名で米軍住宅反対要請書を関係大臣、大使、米軍司令官に提出
8月21日 市議会、「米軍住宅建設反対・早期全面返還の意見書」を全会一致で採択
8月26日 横浜防衛施設局から、県と市に対して池子弾薬庫を米軍家族住宅建設の「有力な候補地」として調査立入りしたいとの文書通知(住宅の規模、配置、工事計画及び環境影響評価のための調査で、完成は5~6年先、米側の要求は1300戸)。県、市はこれを拒否する共同談話を発表
8月27日 三島市長、県知事、横浜市長連名で「住宅建設計画の中止と即時全面返還の要望書」関係政府機関、米国大使、米軍司令官宛て提出
8月28日 市議会基地対策特別委員会が、米軍家族住宅建設計画の即刻取り消し、弾薬庫の全面返還を求める抗議書を全会一致で採択。→31日に防衛庁、防衛施設庁に提出(市民協議会も、同様の抗議書を9/1に関係省庁へ提出)
9月7日 市議会臨時会、住宅建設計画の即時取消しと、全面返還に関する意見書を全会一致で採択
10月18日 市、市議会、池子接収地返還促進市民協議会共催で「米軍住宅建設反対、全面返還、国営自然公園実現」を訴え1,000人参加の第1回市民大会開催
10月21日 横浜防衛施設局による適地調査のためのボーリング調査開始(~11/2)
10月21日 ゲート前に調査中止を求める市民約50人集まる。以後連日30~90人
11月12日 市民グループ「池子米軍住宅建設に反対して自然と子どもを守る会」(守る会)結成
11月16日 市議会、市民協が呼びかけた米軍住宅反対署名3万3833名分を防衛施設庁に提出

1983年(昭和58年)

日付 できごと
2月1日 県「池子米軍住宅建設問題連絡協議会」を設置。アセス手続きに備える
6月10日 「守る会」渡米。46,681名の署名を国防省へ手渡す
7月20日 防衛施設庁が市、県、横浜市に対し「池子は米軍住宅建設の適地」と通告。市長の回答を求める。市と県は同日、計画の中止を要請する共同声明
7月21日 市長、副知事は施設庁長官等を訪問し、計画中止を要請したが、22日より、県の環境影響評価条例に基づく交通量、振動、騒音などの調査が開始された
7月27日 市議会臨時会「米軍家族用住宅建設計画の適地通告撤回と即時全面返還」の意見書全会一致で採択、29日防衛施設庁長官に手交。守る会も同日施設庁長官に、また市民協代表は施設庁次長に面会し、計画の撤回を求めた。
8月27日 市議会、市民協が第2回米軍住宅適地通告撤回市民大会を共催し、県知事、三島市長が出席した。
8月29日 防衛施設庁、池子関連予算3億円を概算要求
10~11月 市議会基地対策特別委員会が、地元国会議員から意見聴取。住宅建設問題については、安保上の問題であり国の住宅建設の意思は固いという認識で一致したが、市議会の対応としては、反対運動を続けるべきだという意見と、条件闘争に切り替えるべきという意見に分かれた。
10月28日 防衛施設庁施設区域整備対策本部長、横浜防衛施設局長が三島市長、市議会議長を訪問し、計画への協力を要請
11月12日 市、市議会、市民協議会による三者協議会発足
11月25日 防衛施設庁施設区域整備対策本部長、再度市長へ建設協力を要請
12月 三島市長、市議会本会議において「反対の意思表示を繰り返しているだけでは、この問題は解決しない」と、現実的対応を示唆

1984年(昭和59年)

日付 できごと
1月20日 防衛施設庁次長らが来庁し、3度目の協力要請を行い、部分返還を示唆、三島市長は国の立場に理解を示しつつ、市議会等と意見調整の上回答するとした
2月10日 日米合同委員会、「所用の予算が国会承認を得られることを条件として、池子弾薬庫における家族住宅及び防災施設の整備を実施する」と合意
3月5日 「弾薬庫としての使用計画がない、残余地への追加建設はない」とする国の質疑を受け、三島市長、市議会で条件付受入れを表明し、これについての是非を口頭で市議会に諮問
3月6日 三島市長、施設方針演説において、住宅建設をやむを得ないものとし、条件付受入れを表明。県知事はこれに理解を示し、地元の意向を尊重しながら対処すると述べた
3月7日 「守る会」住民投票条例制定請求署名簿(14,099名)を選管に提出
3月14日 市議会、基地対策特別委員会に全員加入とし、所管事項に全面返還、国営公園に米軍住宅問題を加え、市長諮問を協議、紛糾。
3月17日 市民団体、池子弾薬庫内にある市有地の管理を市が怠り、市民に損害を与えてるとして、住民監査請求を提出
3月18日 防衛施設庁、建設戸数920戸を市長に通告
4月10日 市議会、市長の条件付受入れの諮問を賛成多数により可決。その際、賛成議員から、弾薬庫内への総合病院への誘致など12項目の条件が提示された。また、守る会は、市議会が採決を強行し、三島市長の姿勢を容認したとの抗議声明を出した
4月16日 市民協、市長の受入表明を了承することを臨時役員会で決定し、市長、市議会、市民協の三者が条件付受入れで一致した。
4月24日 市議会、守る会からの直接請求(住民投票付託に関する条例制定)につき審議し、反対17、賛成7の反対多数で否決
5月15日 弾薬庫内の市有地に関する住民監査請求を却下し、未登記の国有財産を市有地から国有地に登記変更(弾薬庫内15筆の市有地を国有地に)
6月5日 市、33項目の条件を付して米軍住宅受け入れを国に回答
7月13日 三島市長、防衛庁長官と防衛施設庁長官を訪問。総合体育館等、条件の実現に向け努力するとの国側の見解が示される
8月14日 「守る会」、市長の解職請求に向け、署名を開始。(市長派の議員は「池子問題を正しく伝える会」を結成し、リコール反対の署名などで対抗)
9月5日 横浜防衛施設局長、33項目の条件へ回答(27項目に応じる旨)
9月18日 「守る会」、三島市長リコールの署名簿(約1万8千人)を市選挙管理委員会に提出
10月8日 三島市長、辞職。再出馬を表明(10/12立候補)
11月12日 市長選挙投票、翌日開票。富野暉一郎氏当選(富野氏16,421三島氏15,346)(投票率74.81%)、同日に実施された市議会議員補欠選挙でも、住宅建設反対派が勝利
11月28日 富野市長、防衛施設庁次長を訪問し、計画受入れを撤回し、池子米軍住宅建設計画の抜本的見直しと、当面の計画凍結を申し入れ
12月21日 防衛施設庁、県への環境影響予測評価書案の提出を前に、住宅配置の模型を市庁舎内に展示することを市へ依頼
12月22日 富野市長、知事を訪問し、市が進めようとしている学術調査への協力と、防衛施設庁からの環境影響予測評価書案を受け取らないことなど、4項目の協力を求めた

1985年(昭和60年)

日付 できごと
1月12日 富野市長、横浜防衛施設局長に基地内の墓参り実現を要請
1月14日 横浜防衛施設局、ボーリング調査実施を市へ通達
1月21日 富野市長、防衛施設庁へ12/21の依頼文書の撤回を求める
1月27日 防衛施設庁、設計のための地質調査を開始
2月9日 防衛施設庁、市役所近くの神社にて、模型の展示を開始
3月20日 横浜防衛施設局長、富野市長へ3月中に環境影響評価書案を県へ提出するとの文書。これに対し市長は、再考を求めるとともに、知事へ国への具体的な働きかけを要請
3月25日 知事、防衛施設庁長官へ地元の理解を得て慎重に対処するよう要請
3月28日 横浜防衛施設局、環境影響予測評価書案を県へ提出し、県はこれを受理
3月28日 富野市長、環境影響予測評価書案の提出を暴挙とし、計画撤回を求める声明。知事は慎重な手続きを踏むとしながら、国に対し地元の理解を得るよう要請するとの姿勢を示した
3月29日 富野市長、横浜防衛施設局長へ抗議文を提出。県知事宛てに、緊密な協力体制を求める依頼
4月11日 富野市長、県渉外部長と、横山防衛施設局長に対し抗議
5月11日 臨時市議会、住宅容認派2派の「池子米軍家族住宅建設にかかわる33項目の条件実現促進に関する意見書」を賛成12、反対11で可決
5月20日 容認派議員、防衛施設庁長官へ33項目の実現促進を陳情
6月20日 横浜防衛施設局、アセス周知計画書を県に提出、市長は抗議文提出
7月8日 県議会、「池子弾薬庫への米軍住宅建設促進に関する意見書」を賛成多数で可決し、従来の建設中止の姿勢を転換
7月31日 アセス公告・縦覧開始(8/29まで13か所 8/4~説明会開始)
9月13日 「守る会」などからのアセス意見書10万5千通、県へ提出
9月29日 弾薬庫内墓参り(全関係者関係者57戸約200人のうち、62人が立入)
11月2日 「守る会」、市議会リコールの署名を開始。受入れを支持する「逗子市政の流れを変える市民の会」は、計画阻止の公約を破った市長は辞職すべきと、辞職勧告書を提出
11月14日 日米合同委員会、「池子弾薬庫」から「池子住宅地区及び海軍補助施設」に用途変更。住宅地区の所管を兵器部から補給部に移管。市長抗議
11月18日 「変える会」、市長リコールの署名を開始
12月6日 「守る会」、議会リコール署名簿を市選挙管理委員会へ提出
12月20日 県議会「米軍住宅建設決議案」を可決
12月23日 「変える会」、市長リコール署名簿を市選挙管理委員会へ提出

1986年(昭和61年)

日付 できごと
1月3日 市議会解散の本請求が提出された
1月9日 富野市長「池子弾薬庫跡地利用計画(ライフサイエンスパーク構想)発表
1月13日 「変える会」の市長解職署名簿縦覧開始(有効署名数17,712)
1月20日 富野市長ら5人、市長リコール署名について1034件の意義申し立て
1月21日 市議会、解散請求に対する弁明書を市選挙管理委員会へ提出
1月29日 横浜防衛施設局、アセス意見書に対する再見解書を県に提出
2月1日 市選挙管理委員会がリコール署名の再審査結果を発表。確定有効署名17,547
2月8日 「変える会」、富野市長解職本請求(有効署名数17,547)
2月10日 市選挙管理委員会、市議会解散請求の住民投票告示
2月25日 富野市長、解職請求に対する弁明書を市選挙管理委員会に提出
2月 池子接収地返還促進市民協議会、活動を休止(~H8年10月)
3月2日 議会解散住民投票、翌日開票。請求成立(15,887対12,228)
3月3日 市選挙管理委員会が市長解職請求の住民投票と市議会議員選挙の告示
3月23日 市長解職住民投票。翌日開票。解職不成立(13,357対11,440)
4月6日 市議会議員選挙、7日開票。住宅賛成派14人、反対派12人。得票数は反対派上回る(賛成派全員当選)
4月7日 富野市長「白紙撤回を求める市民の意思を明らかにしたものとして謙虚に受け止める」との声明と、市内の一体化を図り「和解宣言」を行う旨を明らかにする
4月9日 富野市長、知事と会談。アセス手続きの留保と国との調整を進める上での県の協力を要請
5月6日 県の「池子米軍住宅建設事業に係わる公聴会」が逗子市内で6月中に4回開催される旨が告示される
5月24日 容認派議員の死去に伴う繰上当選で、反対派議員が当選
5月26日 富野市長、施政方針。計画撤回を求めつつ、受け入れ可能な代替案が示される場合は積極的に対応することを表明。市民の合意を進めるため、7/2から8/1まで地区懇談会を開催し、市民意見を聴取
9月5日 富野市長は、市議会基地対策特別委員会において、池子問題解決のための4原則(旧弾薬庫の全面返還、自然環境保護、防災、オープンコミュニティ)を示したが、関連経費を提案できず、10/13に専決処分
9月25日 市議会流会
10月6日 市議会議長辞意を表明
11月11日 富野市長、県環境影響評価審査会に出席し、住宅建設反対という基本的立場から11項目の意見を述べ、下水道と廃棄物処理については市は協力しないことを明らかにした
11月12日 富野市長、アセス地元「市長意見書」作成のため、弾薬庫への立ち入り調査依頼、防衛施設庁長官拒否
11月19日 富野市長、知事に立ち入り調査の協力要請するが、知事からは、立ち入り調査とアセス手続きは別であるとして、アセス案に対する市長の意見を求められる
12月1日 アセス案に対する横浜、鎌倉両市長の意見が提出される
12月8日 市議会、議長の辞職願をめぐり流会
12月23日 県アセス審査事実上終了。土地利用を厳しく制限する答申案を発表
12月28日 来年度予算原案に池子住宅建設費42億2800万円

1987年(昭和62年)

日付 できごと
1月9日 防衛施設庁長官、アセス手続きが終わり次第、1986年度中にも着工したいとの考えを表明
1月10日 富野市長、住民投票で判断する考えを示唆
1月22日 県環境影響評価審査会、知事に対し事業予定地約80haのうち、約10haの保全を求めるなどとした答申を行い、これに対し富野市長は、アセス手続きとは別次元での政治解決に向けての知事の姿勢に注目したいとした。
2月17日 富野市長、知事からの再三の提出依頼を受け、アセス案に対する意見書(190ページ)を提出
2月24日 知事、市からの意見書を受け、アセス審査書を横浜防衛施設局長へ送付。富野市長は「知事が早急に解決に向けての方針を示すこと」を求め、知事も、政治的解決への意欲を示した
2月27日 防衛施設庁長官、計画縮小の可能性を示唆
3月17日 知事、政治的解決に向け①草地を利用する方向で計画を修正、②弾薬庫としては再使用せず、地元意向を尊重した跡地利用を図るとした提案を国と市に行う
3月17日 防衛施設庁、年度内着工を断念し、6月にアセス評価書を提出後に本格着工することを明らかにした
3月18日 18日に富野市長が、19日に防衛施設庁長官が話し合いへの参加を表明
3月25日 第1回三者会談(「国、市両者の隔たりはなお大きい」)
4月22日 知事、合意に至らない場合は、自らが調停案を示すことを明らかにした
4月27日 第2回三者会談。国と市の立場の相違が大きいことから、知事が調停案を提示することに決定
5月8日 知事、富野市長と防衛施設庁長官へ調停案提示(提供施設全体、住宅計画地、防災、親善交流について国に処置を求めるもので、2haの緑地を追加して保存することが主な内容)。これに対し、防衛施設庁長官は受諾する方向で尊重し、できるだけ早期の工事着手を表明、市長は、市の基本的立場と著しく異なるものであるが、話し合いの経緯を踏まえ尊重したいと述べ、ただちに受け入れることは否定
5月11日 富野市長、地区市民懇談会と市長報告会を実施し、調停案を説明し、市民の意見を聴取
5月18日 富野市長を支持する建設反対派の住民が、調停案の受け入れ賛否を問う住民投票の実施を求め「住民投票条例」の制定を請求する署名簿を市選挙管理委員会へ提出
6月25日 「市民投票条例」、市選挙管理委員会に本請求(署名数16,522)
7月15日 住民投票条例案本会議で否決
7月23日 市議会、「池子問題は、市長が自ら決断することが妥当」とする決議を可決
8月12日 市議会本会議、市民投票条例案否決(反対13×賛成11、退席1)
8月21日 富野市長辞職届提出「調停案をお返しすることで信を問う」として、再出馬を表明。
知事「信頼関係は損なわれた」「調停案はまだ生きている」
9月8日 防衛施設庁、県にアセス評価書を提出。評価書の内容は、知事の審査書や調停案に沿っており、保存緑地を増やすために66戸数を減らし854戸とし、6階建住宅9棟を9階建6棟とした
9月14日 県、アセス評価書公告、縦覧開始
9月28日 アセス評価書縦覧終了、アセス手続きの終了
9月30日 横浜防衛施設局、池子弾薬庫にて測量作業等開始
10月1日 横浜防衛施設局、事業着手届を県へ提出
10月11日 市長選挙。翌日開票、富野氏再選(富野氏17,659 三島氏15.223)
10月12日 富野市長、調停案の返上の意思を示す
10月12日 官房長官、「地元要望を入れた住宅建設は実施が決定している」
10月13日 知事、協議の再開は難しいとの見方を示し、また三者協議会での市長発言を明らかにするなど、県と市の立場がかい離。
10月27日 富野市長、知事を訪問し、調停案の返上を文書にて回答
10月28日 富野市長、防衛施設庁長官を訪問し、計画中止を求めるが、長官は計画変更はない旨表明
10月30日 富野市長、防衛施設庁長官に建設計画中止を申し入れ「計画変更の余地ない」旨回答
12月18日 横浜防衛施設局、市に対し河川協議申し入れるが、市は受取拒否
12月23日 横浜防衛施設局、市へ河川協議書郵送
12月28日 市、河川協議書を横浜防衛施設局へ返送

1988年(昭和63年)

日付 できごと
1月8日 横浜防衛施設局、河川協議書を再度市へ送り返す
2月14日 富野市長、住宅建設計画見直しを訴えるため渡米
3月11日 横浜防衛施設局長が市長を訪問し、河川協議を申し入れるが不調
7月19日 横浜防衛施設局長が市長を訪問し、再度河川協議を申し入れるが不調。また、富野市長が防衛施設庁長官との会談を求めたが不調
9月16日 富野市長に反対する市民団体「逗子を愛する市民の会」が市民の融和を訴え、会長を市長候補に擁立することを決定
9月中旬 横浜防衛施設局、河川協議について住民の理解を求めるためのパンフレットを計画地周辺に配布
10月18日 横浜防衛施設局、文化財調査のため丘陵部の切り崩しを行うことを発表し、20日より樹木伐採を開始
10月30日 任期満了による市長選挙、31日開票。(富野氏が伊奈氏に約3000票差をつけて当選)。富野市長、国に計画変更を求める
11月1日 横浜防衛施設局が河川協議の不要な仮設調整池設置に計画変更する方針との新聞報道を受け、市、横浜防衛施設局に現地立ち入り調査の調整を依頼
11月1日 富野市長、防衛施設庁長官を訪問するが、河川協議についても双方の主張が平行線
11月18日 市、立ち入り調査に踏み切るが、米軍側がこれを拒否
12月27日 市、再度立ち入り調査に踏み切るが、米軍側がこれを拒否

1989年(平成元年)

日付 できごと
1月26日 富野市長、現地調査に出向くが、米軍に拒否され立ち入り断念
3月10日 富野市長、知事へ新年度の工事でのアセス評価書の変更について、適切な運用をするよう文書で要請
3月11日 河川協議抜きの仮設調整池の工事を4月に開始する旨の新聞報道。市長、アセス評価書の取扱いについて知事に照会文書を出し、防衛施設庁長官へ報道内容の照会
3月20日 防衛施設庁、河川協議成立前提とする防災用調整池設置・池子側付替え工事を先送りし、仮設調整池を作るよう設計変更
4月4日 知事、アセス評価書について、正式に変更届があれば手順通りに扱うと述べる
4月17日 横浜防衛施設局、仮設調整池を作り造成工事を行うため、県へアセス評価書変更届提出。富野市長、横浜防衛施設局長へ抗議と撤回を申し入れ、県へも要請
5月9日 県、評価書変更を、軽微な変更として認める。富野市長は、話し合いによる解決を求めつつ、告発等もあり得るとの施設を示す
9月18日 県の文化財調査で文化財が出土し、文化財調査の実施のために工事着手が遅れたが、県教育委員会は遺跡の現状保存は不要とし横浜防衛施設局へ引き渡した
9月19日 横浜防衛施設局、実質的な本格工事に着手
9月20日 市は防災無線で市内へ呼びかけ、市民がゲート前に集まる。河川協議が整っておらず、河川法に反するとして工事中止命令書を横浜防衛施設局へ送付
9月25日 市、国を相手に仮設調整池工事の差し止めを求める仮処分を横浜地裁に申請
11月26日 市民団体主催の集会に、市民約5千人、国会議員なども参加
12月13日 市、国を相手に工事続行禁止を求める民事訴訟を横浜地裁に提訴
12月26日 市議会流会、副議長辞表提出(1989/12~1990/2 4回連続流会)

1990年(平成2年)

日付 できごと
1月16日 議長、辞表提出
1月22日 市議会臨時会、初日で流会
3月25日 市議会議員選挙、26日開票(建設反対派が候補者15人全員当選し、過半数)。富野市長「住宅建設に反対する市民の意思を決定的に示すもの」、知事「市長の方から信頼関係を回復し、話し合いを再開する必要がある」
6月15日 市議会「池子米軍家族住宅建設に反対し、旧池子弾薬庫跡地の即時全面返還を求める意見書」を賛成多数で可決。市議会が初めて住宅反対の意思を表明
8月24日 富野市長、防衛施設庁長官を訪問し、工事中止と再協議を要請したが、拒否される
10月23日 富野市長、知事の会談(約2年ぶり)。進展なし

1991年(平成3年)

日付 できごと
1月22日 富野市長、防衛施設庁長官を訪問し、工事中止と全面返還を求めたが、拒否される
2月15日 横浜地裁、仮設調整池の工事続行禁止を求める訴訟で、市の訴えを却下
2月20日 富野市長、横浜地裁判決を不服とし、東京高裁へ控訴
4月22日 横浜防衛施設局、仮設調整池工事を完了し、造成工事に入る
8月 住民が求めていた「弾薬庫跡地内の市有地を国へ移転登記したことを無効とし、市への返還を求めた訴訟」について、国側の所有権を認める判決
10月 知事訪米、米海軍長官と会談し、オープンコミュニティ方式を提案するが、富野市長は市の提案と異なると反発

1992年(平成4年)

日付 できごと
1月 1992年度の提供施設整備の内容が日米合同委員会で合意。(池子第一期分112戸の建設工事を含む)
2月18日 防衛施設庁、市に擁壁工事計画通知を送付
2月26日 「仮設調整池設置工事禁止」訴訟、東京高裁で却下、市は最高裁判所へ上告
7月31日 富野市長、次期市長選挙への不出馬を表明
8月18日 富野市長の支持団体「市民の会」は、後任に澤光代市議会議員を擁立することを決定
10月上旬 横浜防衛施設局、翌年1月からの河川協議を待たずに、第一期住宅建設に入る意向を示す
11月1日 市長選告示、住宅建設反対派の澤候補と、建設を認める5人の候補が立候補
11月8日 市長選挙投開票(澤氏当選。得票11,942)。市議補選は容認派1名、反対派2名が当選。澤候補は目標としていた投票総数の半数を獲得できず、また、前回選挙での前市長の得票数も大きく下回る。
11月16日 横浜防衛施設局より、住宅地区の汚水処理及びごみ処理の可否について照会
11月20日 澤市長、神奈川県知事を訪問。池子の全面返還と工事の中止を訴える。
11月27日 澤市長、横浜防衛施設局長を訪問。住宅計画の白紙撤回を求める。
12月7日 澤市長、防衛施設庁長官を訪問。住宅計画の可否を含めた事前調整の要請と、国体の開催に備え、体育館用地として国有地の利用を要請
12月9日 澤市長、防衛施設庁長官を訪問。住宅建設に伴う汚水及びごみ処理について、事前調整を要請(住宅建設可否を含め)

1993年(平成5年)

日付 できごと
1月13日 澤市長、アマコスト駐日米国大使を訪問し、住宅建設工事の中止を訴える。大使からは、米軍家族住宅が早急に必要とされる旨発言
1月20日 県より、平成4年3月9日付けで適合通知をしていた池子米軍家族住宅建設事業に係る計画通知について、検査済証を横浜防衛施設局に交付したとの通知。また平成5年1月12日付けで横浜防衛施設局から提出された池子米軍家族住宅に係る環境影響予測評価書を審査した結果、変更される部分は軽微なものであると認め、新たな手続き等は行わない旨を通知したとの文書
1月22日 横浜防衛施設局、第一期住宅建設に係る計画通知を市へ提出
1月25日 澤市長、横浜防衛施設局に対し、事業そのものの可否を含めた事前協議を再度要請
1月27日 横浜防衛施設局より、1月25日の澤市長の要請については昭和62年の知事調停で決着済と考えているとの回答
2月1日 澤市長、事前協議の対応がないため事業計画通知を横浜防衛施設局に返却
2月3日 横浜防衛施設局、事業計画通知を県へ提出
2月19日 県、横浜防衛施設局の事業計画通知に対し適合通知を交付
2月25日 澤市長、横浜防衛施設局長へ、住宅建設事業の中止を要請
3月5日 住宅建設業者の指名競争入札。一期工事分の低層住宅のうち第1工区(4棟24戸)と第2工区(3棟18戸)対象
4月18日 市民の会らが1989年11月以来の抗議集会。富野前市長らとゲート前座り込み
5月12日 守る会、富野前市長らとともに抗議活動
5月13日 横浜防衛施設局、杭打ち工事開始。澤市長、防衛施設庁を訪れ抗議。工事の即時中止を要請。知事は、着工を自然の流れとしつつ、市から働きかけがあれば、県として誠実に受け止めるとの姿勢を示す
8月3日 澤市長、防衛施設庁長官を訪問し、計画の見直しを求める。
9月9日 住宅建設予定地内の仮設調整池工事差止め訴訟が最高裁で棄却
10月23日 澤市長、訪米。米国防総省、国務省等担当者らに面会し陳情(~11/3)
11月10日 横浜防衛施設局、低層住宅208戸と関連施設の建設に関する事業計画通知を提出
11月16日 澤市長、事前協議の対応がないため事業計画通知を横浜防衛施設局に返却(局は県へ提出し、30日に適合通知が出される)
12月 澤市長、12月市議会本会議にて、白紙撤回は現状としては非常に難しいという認識を示し、話し合い解決の方向を市議会へ示すが、反対派一部議員からは基本姿勢の変更だとし、市議会は紛糾。

1994年(平成6年)

日付 できごと
1月26日 旧池子弾薬子跡地利用について生態系保全を前提として検討していた逗子市池子の森生態園基本計画策定市民委員会、澤市長に報告書が提出
3月27日 市議会議員選挙、投開票。反対派が過半数を得るが、これまでほどの争点ではなくなる
3月31日 低層住宅7棟が完成
4月1日 市と国が県の仲介で和解協議に入るとの報道。澤市長、県と非公式に和解案を調整していることを明らかにする
4月18日 澤市長、市議会全員協議会において、池子問題解決のために国との話し合いに入ることを市議会へ説明し、理解を求める。
4月23日 澤市長、市内で地区懇談会を開催し、市民への説明を始める(~5/3)
5月26日 澤市長、知事を訪問し、市の和解案を示し、国との話し合いの仲介を正式に要請(市がごみ、下水処理を行い、住宅の高層化による緑地の拡大など5項目)
6月3日 市、横浜防衛施設局から提出されていた住宅地区内へのボイラー等指定工場設置協議に関する書類を、許可相当として県へ送付。池子住宅関連の法的手続きを初めて受け入れる
6月18日 澤市長を支持し住宅建設に反対する逗留会が、市長の対応を不満として分裂したため、住宅建設反対の意見書を変更するための新たな決議案の提案は見送られる。
6月21日 知事、18日の決議案見送りについて、このままでは国へ正式に和解案を取り次ぐのは難しいとし、また、9月議会では遅いとの意向を示す
6月23日 澤市長、議会の協力が得られなければ出直し再選挙もあり得ると表明
7月22日 澤市長が基本方針を変更する意向を示したのを受け、最大会派の政友同志会は、市長に和解成立時に辞職することを条件に、臨時会の開会に応じるとし、市長はこれを了解
8月5日 澤市長、臨時市議会で白紙撤回の基本方針を変更 市長、市議会本会議において、白紙撤回の基本方針の撤回と、和解合意成立後の辞職を表明。政友同志会から提案された池子問題解決に向けての意見書が採択され、知事による仲介の条件が整う
8月8日 澤市長、知事を訪問し、意見書の採択を報告し、協力を要請した
8月23日 知事、防衛施設庁長官を訪問し、池子問題について逗子市との話し合いを要請
8月31日 防衛施設庁長官、知事、市長の第1回三者会談。早期解決を合意し、9/2から、横浜防衛施設局長、副知事、市長による事務レベルでの協議が開始
9月7日 澤市長、池子住宅建設用地を初めて視察
9月8日 澤市長、内閣官房長官を訪問し、和解への協力を要請
10月 横浜防衛施設局長、米海軍横須賀基地司令官を訪問し、和解条件についての協力を要請
10~11月 事務レベルの協議において、未着工の東側予定地の低層住宅の大部分を高層化し、約3ヘクタールを緑地に戻すという国の案が提示される
11月 防衛施設庁長官、訪米。米側に地元の要望を伝え回答を求め、月内にも前向きな回答があるとの見通し
11月17日 第2回三者会談。防衛施設庁長官、知事、澤市長の三者が合意書に調印。低層住宅146戸のうち108戸を高層化し、東側地区の緑地の拡大を図る、施設・区域内の緑地の現況保存に配慮する。市は、米軍住宅のごみ、汚水の処理をするなど
11月18日 在日米海軍司令部、逗子市民を含めたすべての関係機関の長くてたゆみない努力に感謝したいとするコメント
11月18日 澤市長、退職申出書を議長に提出。30日、市議会同意
11月18日 準用河川池子川の付替改修工事及び調整池設置を市が同意、河川区域の指定及び管理は別途協議
12月25日 市長選挙投開票、平井義男氏当選(得票10,350)

この情報に関するお問い合わせ先

経営企画部:基地対策課

電話番号:046-872-8134


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